ma-ma crawling baby(ハイハイ赤ちゃん)

(写真: 4枚)

(写真: 4枚)

わらべ館コレクション

制作年代

1950年代後半~60年代

制作

野村トーイ

寸法

手のつま先から足のつま先まで32㎝✕頭頂部の高さ24㎝

おもな素材

プラスチック、布、金属

動力

単1電池2個

紹介

このハイハイする赤ちゃん人形は、1950年代から作られていたバッテリー玩具です。メリヤス製のとんがり帽をかぶり、ロンパースにはハイハイで穴が開かないようビニールの膝当てが縫い付けられています。残念ながら当館の所蔵品は箱が無く、動きません。参考に骨董商やオークションサイトの画像を見ると、外箱には商品名にmade in japanの文字とひし形にT.N.の野村トーイのロゴ、そして輸出向けにキャッチコピーもすべて英語表記となっています。

ネット上の動画では、腹部のスイッチを入れると、ハイハイは勿論、首を左右に振り、ちぃーちぃーと小さな声を出します。元箱には、”call me baby”と大きく表記されたものもあり、人形から「声が出る」仕掛けを前面に押し出していました。

この輸出向けの赤ちゃん人形が、日本のこどもたちの手にも渡るようになったのは、あるヒット曲も関係しているようです。この人形を抱いてにっこりと微笑む梓みちよの写真が掲載された広告があります。「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」など数多くの歌を共作した作詞家、永六輔と作曲家、中村八大の大ヒット曲として、そして歌手梓みちよの代表曲としても知られる「こんにちは赤ちゃん」。この歌は、今から60年前の1963(昭和38)年7月6日に、テレビ番組の「夢であいましょう」(NHK)の今月の歌として紹介されるや人気に火がつき、梓はその年のNHK紅白歌合戦への出場はもちろん、レコード大賞受賞、そして初めて歌謡曲を天覧披露することにもなりました。日本も高度経済成長期に入り、高価なおもちゃにも手が出るようになっていたのでしょう。

ひとこと

輸出向けの箱には、ROSKO TOY(JAPAN)のロゴが表記されたものもあります。ロスコとは、東京で設立されたアメリカの玩具輸入業者で、箱にぐるりと記された”ROSKO TESTED TOY”のロゴタイプでも知られています。野村トーイなど日本製のセルロイドやブリキのおもちゃをアメリカへ送り出していました。

野村トーイは、1950~60年代にかけて、ブリキのバッテリー玩具の名作を数多く輸出し、外貨獲得に貢献していました。後にはキャラクター玩具や「ブタミントン」などのゲームもヒットしました。

参考文献

『この歌この歌手 運命のドラマ120』(上)「こんにちは赤ちゃん」 現代教養文庫 読売新聞社文化部 1997年 

展示場所

3階 おもちゃの部屋

こちらもどうぞ


すべての記事を読む

すべての記事を読む