エホンシヤウカ ハルノマキ
(写真: 6枚)
(写真: 6枚)
昭和6(1931)年12月25日
編纂・発行
日本教育音楽協会編纂、音楽教育書出版協会発行
紹介
『エホンシヤウカ ハルノマキ』は、端午の節句が近づくとよく歌われる曲「こいのぼり」(♪やねよりたかい こいのぼり~)が最初に発表された冊子です。
この冊子は、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)内に置かれた日本教育音楽協会が編集しており、会の代表者は当時の東京音楽学校校長 乗杉嘉壽(のりすぎ・かじゅ)です。「テフテフ」「タンポポ」「ママゴト」「ヱンソク」「コヒノボリ」「アカチヤン」「マリナゲ」「オヤツ」「オニゴツコ」「ジドウシヤ」の10曲が掲載され、川上四郎や伊藤としを、吉澤錬三郎などがページ全面に歌詞にあわせたイラストを描いており、絵本のようなつくりとなっています。
編集の中心人物だった福井直秋は、『教育音楽』の中で書名を『エホンシヤウカ』とした理由について、「幼稚園の御子さん方は文字や譜の力に乏しい為、絵本を主として編纂したからであります。子供がこの本を一寸見ただけで歌ひたくなる、又は手に取つて見たくなるやう、即ち子供に親しみのある名前及び体裁にした」と記しています。巻末には各曲の楽譜も付されていますが、どのページにも作詞者や作曲者の名前は見当たりません。これは、歌の版権は会の所有とすることを前提に募集された歌だったからです。
まず題目が提示され、歌詞は一般から募集しましたが、適する歌詞が少なく、半数以上は依頼などによって作られています。「コヒノボリ」もその一つで、近藤宮子に依頼し作詞された作品です。当初作者の情報が未記載の作品も、時代を経ていくつかの曲の作者が明らかになりました。
ひとこと
歌詞に注目してみるとすべてカタカナ表記となっています。
今でこそ、平仮名を習った後でカタカナを習いますが、昔の楽譜はほぼ1番がカタカナ、2番がひらがなとなっており、カタカナが主流でした。平仮名がカタカナに取って代わったのは第二次世界大戦が終わってからのことです。昭和24(1949)年4月5日に内閣官房長官より通達された「公用文作成の基準について(依命通達)」の中で、「かなはひらがなを用いること」とされたことが大きな転換点とされています。
展示場所・期間
1階 エントランスホール(2023年4月20日~5月末まで)
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