山田耕筰自筆色紙額「交響詩曲 明治頌歌」「自画像」、北原白秋直筆色紙額「山田耕筰像」

(写真: 7枚)

(写真: 7枚)

わらべ館コレクション

発行年

昭和28(1953)年、昭和5~15(1930~1940)年頃

紹介

作曲家の山田耕筰(1886~1965)と、詩人の北原白秋(1885~1942)による自筆色紙です。この2人による組み合わせは「この道」や「からたちの花」などを生み出した童謡界のゴールデンコンビとして有名であり、同時に友人としても大の仲良しでした。その関係性については山田耕筰いわく「白秋が亭主で耕筰が女房」とのことですが、白秋としては「この女房、時として浮気を遊ばされ、うっかりすると白秋は尻に敷かれる」のだそうで、お互いにお互いを振り回し振り回されるような仲だったのかもしれません。

耕筰も白秋も多才多趣味で知られていますが、この自筆色紙では2人がそれぞれ描いた山田耕筰の似顔絵を見ることができます。

耕筰の自画像はデフォルメが効いたシンプルな線描とスンとした真顔が、かわいらしい印象を醸し出しています。自画像の右下には「Kousaku yamada/Feb.7.1953/Tokyo,」と記載あり、昭和28(1953)年2月7日に67歳の耕筰が東京で描いた色紙であることがわかります。また左の色紙は交響詩曲「明治頌歌」の自筆楽譜になっています。

一方白秋は、より写実的なタッチでニコニコ笑顔の耕筰を描いています。色紙の右上には「山田をっちゃんの像」と書かれており、白秋の目から見たご機嫌な山田おっちゃんの姿を想像することができます。白秋は「詩人以外の仕事に就くなら?」というアンケートに対して「画家」と答えるほどのお絵かき好きでもあり、童謡集の挿絵をしばしば自分で描くほどでした。そんな白秋の絵心も目の当たりにできる資料です。

ひとこと

山田耕筰、実は大の占い好きでもあります。なんと日本最古の星占い本を出版したのも山田耕筰その人です〈山田耕作(当時)『生れ月の神秘』(1925年、実業之日本社)〉。星占いのほかには姓名判断にも凝っており、白秋に対しても「たのむから伯秋と改名してくれ、そしたら福運を授かるそうだ。見たまえ、僕にしたって頭にケを2本つけて筰としたから運勢が向いて来たのだ。」と直々に説得しに行ったそうです。
※昭和5(1930)ごろに「耕作」から「耕筰」へ名前を改名している。「坊主頭になったため、名前にだけでもカツラ(ケケ)を付けようと思った」という改名エピソードが有名です。

展示場所

わらべ館1階 うたの広場(2025年12月18日から2026年2月17日まで展示)