ラッパ型菓子入玩具壜
(写真: 3枚)
(写真: 3枚)

制作年代
1952年頃
制作者
木綿武夫か
制作地
日本
寸法
幅 65mm×奥行65mm×高さ150mm
おもな素材
ガラス、ブリキ
紹介
本資料は、ラッパ型の菓子入玩具壜です。ガラス製の容器には金平糖が詰められました。持ち手、ラッパの吹き口と朝顔形のベル部はブリキ製です。吹き口は容器の蓋として機能し、笛としても遊ぶことができます。
形状は、1952(昭和27)年に意匠登録された喇叭型菓子容器(木綿武夫、意匠登録第100570号)に酷似しており、同製品と考えられます。本資料には残されていませんが、モール製のひもが付属しました。
ガラス製の容器底面には「光」という文字が、エンボス(陽刻)加工という型押し技法で浮き上がっています。同様のロゴマークがガラスのエンボスやブリキの印字で入っている菓子入玩具は、戦前から1960年代にかけて多数現存しています。ガラスには気泡が入っており、ガラスのタネを型に落として膨らませる「型吹き」技法で作られたものです。
戦後の物資不足の中で、ブリキのおもちゃは、進駐軍の飲料缶・食品缶などの空き缶を回収して作られました。菓子入玩具も例に洩れず、本資料もその一つです。ブリキ製の吹き口と持ち手の内側には英字が断片的に見られます。持ち手の文字を解読すると、「(欠)Brewing Company」(「Jos. Schlitz Brewing Company」、企業名)、「Milwaukee, Wis.」(ウィスコンシン州ミルウォーキー)、「Fluid Ounces」(液体の単位)などが記載されています。「Jos. Schlitz Brewing Company」は、当時アメリカ合衆国最大のビール会社です。文字情報とフォントデザインから、1946(昭和21)年から1952(昭和27)年にかけて「Schlitz」という名で製造販売されたビール缶のパッケージデザインだと分かります。一方吹き口には、2つの缶が使われています。一つは持ち手と同じ「Schlitz」のビール缶、もう一つは「PABST Blue Ribbon」という同じくウィスコンシン州ミルウォーキーを起源とする「Pabst Brewing Company」のビール缶です。書かれた文字「finest BEER」(最高級のビール)、「TRA(後欠)」(TRADEMARK、トレードマーク)から判断ができ、年代はデザインから、「Schlitz」と同時期の製品と推定できます。どちらも大衆ビールとして広く認知されており、GHQ統治下にあった日本でも米兵によって愛飲されていたのでしょう。
また、ベル部の内側にあるクレヨンのような着色は、購入して使っていた子どもの落書きと思われます。
製作年代については、下記の時代背景から1952(昭和27)年前後に作られたと考えられます。
- 菓子入玩具壜の第2次ブームが1951(昭和26)~1953(昭和28)年。
- 1952(昭和27)年意匠登録第100570号「喇叭型菓子容器」の図面と酷似。
- 使用されたブリキ缶のパッケージが1946(昭和21)~1952(昭和27)年頃のデザイン。
- 1945(昭和20)~1952(昭和27)年、GHQ統治下にあった日本では、廃棄されるようなくずガラスを溶かして作ったに、空き缶を再利用した蓋を付けた菓子入玩具が数多く作られた。
- 「光」のロゴマークが入った1950年代の「菓子入玩具壜」が複数現存する。
菓子入玩具壜とは?
中に入っているお菓子を食べて空になったら、おもちゃとして遊ぶことができる容器のことです。ガラス、ブリキ、セルロイドを素材に、車型やラッパ型、動物型、鉄砲型など様々な形が作られました。
菓子入玩具壜の流行
菓子入玩具壜の第1次ブームは大正末期から昭和初期の戦前にかけて、第2次ブームは戦後1951(昭和26)から1953(昭和28)年にかけて興りました。第1次ブームの理由は定かではありませんが、第2次ブームは、戦後の子どもたちの甘味と玩具の憧れが関係しています。戦時下の1940(昭和15)年に砂糖の配給制が始まると、入手困難を理由に多くの製菓業者は休業や廃業に追い込まれ、金平糖は貴重な存在となりました。再開は敗戦後、食糧事情が改善し、砂糖輸入が激増した1948(昭和23)年以降です。菓子入玩具壜は、子どもたちの需要に応えるように再び爆発的な人気を博しました。
使い捨てのガラス容器
1950年代前半までは、まだプラスチックが普及しておらず、ガラスの容器が使い捨て容器として用いられていました。1度使用したら捨てる前提のため、ガラスの質は粗雑で気泡が多く、壊れやすいものでした。1958(昭和33)年になるとプラスチックの一種であるソフトビニールの生産性が向上し、玩具にも使われ始めます。菓子入玩具壜の容器も徐々にプラスチック製に代わっていきました。
ガラス製の容器を使った菓子入玩具は、作られた年代が限られ、割れや欠けの無い完全体で現存するものが少ない稀少性と造形の面白さや愛らしさからコレクターに人気があり、価値が高まっています。
再利用のブリキおもちゃ
使用済みの缶を再利用する際は、空き缶の胴部を引き延ばして苛性ソーダで洗い、印刷のない内側を表にして使用されました。
ひとこと
菓子と玩具の融合は、いつの時代も子どもたちを魅了してきました。駄菓子屋で販売されていた1950年代当時の菓子入玩具壜の価格は、小10円、大30円程度。2026年現在の価値に換算すると小74円、大223円相当で、子どもたちがお小遣いで購入できる価格と言えるでしょう。
展示場所
3階おもちゃの部屋 2026年3月31日まで
参考文献、Webサイト
- 栗原英次、入山喜良 著「帰ってきたコンペイトウ」2024年、立東舎、p58、59、66、71、172、241、242、249
- 栗原英次 著「いろはにコンペイトウ」2005年、株式会社にじゅうに、p37、39、44、47、52、79、126、132、145
- J-PlatPat「意匠登録0100570 意匠公報」2026年3月3日最終閲覧
- 日本金属玩具史編纂委員会 編「日本金属玩具史」1960年、中央公論事業出版p450、480
- 平成ボトル俱楽部 監修「日本のレトロびん 明治初期から平成までのレアコレクション」2017年、グラフィック社、p83
- 日本銀行「昭和40年の1万円を、今のお金の価値に換算するとどの位になりますか?」2026年3月3日最終閲覧
- 貨幣価値換算ナビ「昭和27年|1952年のお金を今の価値に換算するといくら?」2026年3月3日最終閲覧
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