青年学校唱歌
(写真: 5枚)
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昭和10(1935)年6月18日
発行
音楽敎育所出版協会
紹介
青年学校は、中等教育を受けずに就職した人が働きながら授業を受けられる教育機関で、昭和10(1935)年から設置が始まりました。それにより青年学校をはじめ青年団等で人が集まった時に、みんなで歌える歌がほしいという要望が多くなり、それに応えて大阪音楽学校校長の永井幸次が、相応しい曲を集め編纂したのがこの『青年学校唱歌』です。
永井が教化団体※1や青年団等の講習の講師を務めるなかで、その都度必要に応じて制作していた楽曲が主に収録されています。合計40曲が収められており、そのうち25曲が永井の作曲によるものです。作詞を担当している作品も4点あり、「わが務め」「五十音唱歌」は作詞作曲ともに担っています。「五十音唱歌」は2021年4月のわらべ館コレクションで楽譜、音源ともに紹介をしていますのであわせてご覧ください。永井の作品以外にも、国歌「君が代」や、朝日新聞が歌詞を公募し山田耕筰が曲をつけた「青年の歌」など、彼が青年団等の集会にふさわしいと考える作品が選出されています。
永井幸次は明治7(1874)年2月21日、鳥取県の西町で生まれました。鳥取教会に通いつめオルガンに興味を持っていた永井は、田村虎蔵※2の東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)受験を知り、「そんな学校があったのか」と同校への進学を決意します。卒業後は教員として活躍しながら、音楽教材の自主編纂なども行いました。
当時、男子が国内で音楽を学ぶには東京音楽学校以外に道が無く、永井は西日本にも音楽を学べる学校を作りたい、と考えます。作曲コンクールの懸賞金などを元手に整備を進め、大正4(1915)年に大阪音楽学校を設立しました。
- 教科団体とは、戦前の日本において人々を教え導き道徳を向上させ、社会をより良い方向へ変化させようと活動していた団体のことです。
- 田村虎蔵は「金太郎」「大黒様」等の唱歌の作曲者で、明治6(1873)年5月24日、鳥取県岩美町で生まれました。田村は永井の弟と交流が深く、勉強を教えたり下宿に呼んだりしていました。永井は弟を通して田村の音楽学校受験を知らせ聞いたり、進学を決意してからは受験対策の教材を借りたりしました。
ひとこと
2024年2月21日は、永井幸次の生誕150年の日にあたります。
永井が自身の半生を記した自伝『来し方八十年』によると、彼は音楽学校の受験に合格したときや、主任になった学年が運動会で優勝したときなどお祝い事のたびに、焼き芋をたくさん購入して、家族や友人、生徒らとともに食べていたようです。
今年の2月21日は永井の誕生日を記念して、焼き芋パーティーをしてはいかがでしょう。
展示場所
わらべ館1階 鳥取の音楽家たちの部屋(2024年2月9日から2024年3月7日まで展示)
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