唱歌

わらべ館1F唱歌

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唱歌のはじまり

明治時代に入ってから、子どもたちのうたに学校で習う唱歌が加わりました。はじめのうちは文部省が中心になり、アメリカ人の協力で西洋の曲に日本的な歌詞をつけたりしましたが、やがて音楽を学んだ日本の音楽家たちが、新しいうたをつくるようになりました。これらのうたが、その後の日本人の音楽的感性のひとつの典型をつくっていきました。

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唱歌コーナーは木造校舎教室

せっせと雑巾がけをした木の床。小刀でキズをつけていたずらした木の机や椅子。先生が弾いてくれた、足踏み式の小さなオルガン。昭和のはじめにもどったような教室は、明治時代から使われてきた古い木造教室がモデルです。聞こえてくるのは、思い出の唱歌の数々。ガラス窓にはなつかしい情景がつぎつぎに現れ、黒板には先生が書いてくれた歌詞が映し出されます。

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音楽の授業に取り入れられた唱歌

明治維新を迎え日本が近代化への道を歩み始めると、政府は新しい時代にふさわしい人材を育成しようと、明治5年(1872)欧米の教育制度を模範とする学制を布きます。現在の音楽の授業にあたる唱歌は、このとき誕生しました。しかし、欧米の学校に倣って取り入れたこの教科は、当初教える教員や教材もなく“当分之を欠く”ものとされ、実際に唱歌の授業が開始されるまでには、もうしばらくの時間を必要としました。

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『わらべ館 唱歌集』受付側にて発売中

『唱歌教室』参加随時受付中

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